EFFECT_onoff
撮影日
2024_1026_1244
更新日
2025_0210
REFERENCE
GitHub - shader-art/shader-art: web component that creates a WebGL canvas for running GLSL shaders
幾何学の起源 エドムント・フッサール, ジャック・デリダ 著,田島節夫, 矢島忠夫, 鈴木修一 訳
200-201p 5、日常生活のなかでの実践の必然性である一個の必然性によって、たとえばたわまない線、すべすべした表面、等々、ある種の形態および変形過程が、知覚され、復元され、しだいに完全にされることができた、ということ。形態論的な、すなわち前幾何学的なあらゆる想定は、つるつるした表面、多かれ少なかれごつごつした側面、線あるいは角、等々のような、感性的直観の質的漸進性にしたがって実施される。このことは、曖昧な形態論的類型の厳密かつ一義的な確定を禁ずるものではない。『起源』なかで、フッサールは、精密性の出現以前に、「事実的なものから始まる変更の方法によって、本質的なかたちが認識できるようになるだろう」(『起源』300頁)、といささか謎めいたことをカッコの中で書いている。この指摘の意味は、『イデーエンⅠ』および『危機』から、よりよく解明される。想像変更によって、ひとは、精密ではないが純粋な形態論的類型、たとえば「円」という幾何学的な理念性がその下に構築される「円いもの」を獲得することができる。これは「下部構築」の操作であり、この観念が、『危機』のなかでもまた捉えなおされる。しかし「円いもの」という類型は、それにもかかわらず、すでに、ある種の理念性を賦与されている。それは、知覚のなかで多かれ少なかれそれに対応している多様な自然的形態とは混同されない。想像的思念だけが、その前幾何学的純粋性においてそれに到達することができる。しかしこの純粋な理念性は感性的なものの秩序に属するものであり、これは、それ自身としては、感性的ないし想像的直観性から解放されている純粋な幾何学的理念性から慎重に区別するべきである。純粋な形態論的類型を私に引き渡すのは想像であり、「想像はただ、感性的な形態をこれまた感性的な形態に変えうるにすぎない」。純粋な感性的理念性はそれゆえ、フッサールにしたがえば、前数学的水準に位置づけられる。このようにして純粋数学は、ひとたび構成されてしまえば、フッサールにおいては明確な術語的意味を観念である「悟性」にしか、すなわち、同質の二つの能力としての想像および感性から同時に開放されているがゆえに、いずれにせよ、デカルト的主知主義の意味で考えることのできる活動にしか近づきえないものとなるであろう。『危機』のなかには、この問題に非常によく照明を与え、フッサールの他のテキストには見つかりそうもない的確な内容を持つ数行にわたって、こう書かれている。「この直感的な環境世界において、われわれは単に空間的な形態だけに抽象の目を向けることによって、『物体』を経験する。それは幾何学的、理念的な立体ではなくて、われわれが現実に経験するまさにあの物体であり、現実の経験の内容をなす内容をもった物体である。われわれはどんなに勝手に、想像によって物体に対する考えを変えようとしても、こうして得られるある意味で『理念的』な、自由な可能性は、決して幾何学的に理念的な可能性ではない。すなわち、『純粋な』立体、『純粋な』直線、『純粋な』平面、『純粋な』形態、さらに『純粋な』形態として経過する運動やその変容といった、理念的空間に描き込まれる幾何学的に『純粋な』諸形態ではない。ゆえに幾何学的空間とは、およそ想像された空間を意味しない。」